全ては1974年ここから始まった (7)

バイト先のT.S君とのバンドではかなりライブも演った。
当時はイベント屋みたいなのが居て、会場を借りきってバンドさんにノルマチケット買わせ・・・こんなスタイルは今も変わらないのかな。

吉祥寺曼荼羅も1回だけ出演したが、これは誰かの代わりだったのかな?記憶にない。
埼玉のペーパーランドも2回〜3回演ったことがある。
何校かの学祭も出演したな。
真冬の日体大グランド寒空の下、体育会系の大勢の学生さんがブルースに合わせて踊っていたっけ。
このバンド、自分は所謂サイドギターって位置づけみたいなもんで、ソロを弾いたのはSan-Ho-ZayとLast Nightくらいだったかな。

この頃の写真は無いなあ・・・残念。

この頃、このバンドと平行して念願のシカゴ・ブルース・バンドを結成した。
ベースT.S・ドラムK.I・ヴォーカル&ハープT.T・ギター自分という4人編成。
THE ACESにも憧れていたけど、ローラー・コースターのような感じで演奏したくてね〜。
ベースT.SとドラムK.Iはこの時16歳だったと思う。
蒲田スター楽器の2階にあったスタジオで偶然出会った。
でかい音でツエッペリン演ってたな。
スタジオから出てきた2人に声をかけた。
「ブルース演らないか?」
2人はどう思ったのか定かではないが、一緒に演ることになった。
2人は当時は高校生だったので、とても素直(笑)。
特にベースとハープは器用な奴だったと思う。

ローラー・コースターはピアノ国府さんが抜けた後だったから、ドラム山崎さん・ベース生井さん・ギター川口さん・ヴォーカル&ハープ妹尾さんというメンバーだった。
ローラー・コースターのライブは何度も通った。
ジロキチ、エピュキュラス渋谷ヤマハお立ち台屋根裏VAN99ホール等々。

カセットで盗録した音源を2人に渡した。
自分のバンドのレパートリーは、Juke・One More Chance with You・Oh Baby・Unceen Eye・・・・結局、ローラー・コースターとまるっきり一緒だった。
それだけ憧れていたんだろうな。
ヴォーカルとハープの奴は、全くブルースを知らなくてフォークを歌っていた。
彼もローラーのテープを渡すと妹尾さんのフレーズをコピーしてきた。
ドラムの奴は全くシャッフルかできなかったけどね。

この頃、フェンダー・ジャガー1964年を神田の楽器屋で手に入れる。

枯れて良い音だった。
これも、ローラー・コースターの川口さんが弾いていたのを見て買ったんだよね。
こうやってヨタ話を書いていると、他人に影響されてばっかりだなぁ(苦笑)

当時、ラジカセで練習やライブを録音していたが、近年Macでデジタル化ができるようになってからCDにした。

SOUTH SIDE BLUES BANDなんてたいそうなバンド名だが、1年も活動してなかったかな。
メンバーの学業やら就職で解散したんだと思う。
自分が初めて参加したT.S君とのバンドも、メンバーの就職やら進学で解散。
その後すぐに、この2つのバンドで活動ができるメンバー3人+ベースが集まってバンドを結成する。

コメント

  1. ogg より:

    スタジオでのスカウトが目に浮かびます。写真がNICE‼︎
    CDをいつか聴かせてください^_^

    • K-335 K-335 より:

      コメントどうもです。
      お聞かせするほどのもんでもないですが、青春・・・っすかね(汗)