全ては1974年ここから始まった (6)

不動前駅近くの会社寮に居たU.Y君は故郷に戻ることになった。
「1973年のこと」これは本人に確認した。

この頃の写真がないのが残念。今のようにiPhoneで簡単に撮影なんてことはできず、カメラだって高価だったし。
少し後になると、バイト先にカメラマンが何人か居たので、ステージ写真などは残っている。

当時、ネットは無い。
連絡手段は固定電話か郵便だ。
その郵便・・・・U.Y君とはしばらく「文通」していたな。
別に用事があるわけでもないのだが、近況などを面白おかしく書いていた。
彼からの手紙を読んで腹を抱えて笑ったのを覚えている。
実は、そんな手紙を未だに捨てずに取ってある。
こういうのは捨てられないんだな。
そんな彼とたった今、電話で当時の事を話した。
元気そうで何より。

そして、バイト先にブルースバンドをやっているというT.S君がやってきた。
髪は腰位まで伸ばしてたな当時。
彼のアパートは矢口ノ渡にあった。
よく遊びに行って、と言うより入り浸って一緒にギターを弾いたりしていた。

その頃、朝起きて彼に言われた一言。
「朝からブルース聴いてんじゃねーよ」
自分は朝起きればすぐにブルースのレコードをかけていたんだが、これが気に入らなかったらしい(笑)

T.S君、下着はトランクスを履いていた。
自分は母親が買ってくれる白いブリーフだったんだよな~。
白いブリーフが恥ずかしくなってトランクスに変えた(笑)。

T.S君の高校時代からの友人でK.T君(故人)がバイト先に入ってくる。
彼等はブルース・バンドを組んで活動していた。
キャロルの内海氏とは高校の同級生で、学祭でバンドを組んでいたこともあると言ってた。
この録音を聴いた記憶がある・・・・レット・イット・ビー♫だったと思う。
まだ自分はバンド経験はなく羨ましく思っていたが、このすぐ後に2人の結成しているバンドに入ることになった。

この頃、初めて「外国製エレキギター」を購入する。
この写真のテレキャスがそれ。
1972年か1973年だったと思う。
三軒茶屋の「ミドリ屋」男の24回月賦。
24回分の支払用紙が束になっていて、それを支払カウンターで毎月支払う。

このバンドでの自分の初ライブは世田谷玉川区民センター。

写真はその少し後、目黒福祉センターでのライブ。
ストラトを弾いているが、ベースのM.H君に借りたギターだ。
彼はベンチャーズをいつも楽しそうに弾いていたな。
かなり上手だった記憶がある。

この後、念願のシカゴ・ブルース・バンドを結成することになる。

コメント

  1. ogg より:

    こちら、3回分の内容ですよ〜(^O^)

    どちらも素敵な話っす!
    郵便で届く情報って密度濃いすよね。
    24回分の月賦用紙!
    臨場感ありますね〜
    ライブ写真は時代の雰囲気が凄いす。。
    今のカメラではなかなか撮れないですね

    • K-335 K-335 より:

      コメントありがとうございます。
      字が下手くそで恥ずかしいんだけど、よく手紙は書いてました。
      好きだったのでしょうね。

      画像は高円寺に住んでいたカメラマン志望のK.I君(ウエストロードを教えてくれた)撮影。
      ニコンF1での撮影だと思います。
      ミドリ屋と丸井はご用達でした(笑)