全ては1974年ここから始まった (5)

時代は1972年頃・・・。
「同棲時代」は終わる。
別離があり、自分は自宅に戻った。

当時、浜松町にあった某印刷会社でのアルバイト・・・給料は日払というか、平日はいつでもが給料が貰えた。
毎日でもいいし、1週間貯めてもいいし。
緩かったなあ。

そこに新しく入ってきたアルバイトのI藤君。
彼はカメラマン志望で、BLUES好きというかなりの変態。
当時彼は高円寺のそれこそ四畳半のボロアパートに住んでいた。
布団のシーツとかさ、真っ黒だったなあ。
洗濯してなかったんだろう。
画像右がI藤君。高円寺の彼の部屋で。

彼にはジロキチを教えてもらった。
その時に観たライブがウイピング・ハープ・セノウ & ヒズ ローラー・コースター。
とんでもない衝撃を受けた・・・やっぱりシカゴブルースだろ!
絶対にシカゴ・ブルース・バンドをやるぞ!と、心に誓った時だった。

そんな彼から「京都のウエスト・ロード・ブルース・バンドって凄いバンドが東京に来るよ」。
という情報をもらう。
代々木にあった「苺の目覚まし時計」というライブハウスに行った。
満員電車並みの混雑。
ゲストも凄かった。妹尾隆一郎、金子マリ、レイジー・キム、森園勝敏が記憶に残っている。
9thコードの押さえ方を、この日のライブ会場で「自分は正しかった!」と確認できた(笑)。

そして、ウエストロードの演奏が始まった。
雷に打たれたような大ショック。
塩次伸二氏のカミソリの様なギター。


この映像は恐らく80年代の再結成の時だろう。
この時思ったのが、黒人のブルースより凄い(笑)
未だに塩次氏を心の師匠として尊敬している自分。
現在でもこの塩次氏のコネクションで人と人の繋がりが凄い。

RADATAPのあっちゃんと出会ったのも塩次氏のライブ会場でだからね。

 

コメント

  1. ogg より:

    いよいよ心の大師匠との出会いですね!!
    当時は出演ミュージシャン皆様と話せる様な機会とかあったんですか?

    • K-335 K-335 より:

      コメントありがとうございます。
      大師匠との出会い・・・まだまだ引っ張ります(笑)
      ウエストロードやローラーのメンバーは「話しかけるな」オーラが凄くて、怖く見えたんですよ。
      なので、当時は全く話をしたことはないです。
      テクニック的にも「雲の上の人」って感じでした。