全ては1974年ここから始まった (4)

高校を卒業し大学時代。
大学へは1年しか行ってないから18歳か19歳の頃だ。
当時、家を飛び出し武蔵小山のオンボロアパートで同棲生活をしていた。

高校時代仲のよかった友人が目黒不動駅近くの会社に勤務していた。
武蔵小山からはすぐ近くだったこともあり、その会社に遊びに行くと、食堂で何やらギターの音が。
エレキギターをかき鳴らしている人がいた。
青色のテレキャスのようなギターとテスコかエーストーンのアンプだったかと思う。
記憶は定かではないのだが・・・彼はBLUESでいうところのリフを弾いていた。
6弦ルートで、6弦と5弦を弾く定番のやつ。
チャック・ベリーのロックンロールみたいのだったかな。

次に彼が演奏してくれたのは、宮崎美子さんのテレビCMで「いまの君はピカピカに光って~」って斉藤哲夫が歌った曲。


曲に合わせて脱いで水着になるのだが・・・たまらんかったな~。
やはり自分の記憶はイイカゲンで、ずっと吉田拓郎の曲かと思ってたら、斉藤哲夫だったんだな(汗)
「僕の髪ぃがああ」って曲だと思ってた・・・・。
目の前でエレキギターの演奏は衝撃的だった。

この会社の寮にU.Yって奴が居たんだ。
自分より1級下だったな。
U.Yとは話しも合い、毎晩のように彼の寮の部屋で酒を呑みながら音楽の話し。
金も無いので、トリスに肴はスルメイカ。
肴も無くなるとマヨネーズを舐め舐めトリスを呑んだ。
タバコもシケモクを灰皿の中から探して吸ってたな。

この頃、初めてエレキギターを買う。
グレコのレスポールモデル。チェリーサンバースト。
成毛滋のカセット付きだ。
レッド・ツェッペリンのブラック・ドッグやロックン・ロールのリフの弾き方が収録されていた。
今でもロックン・ロールのリフ弾けるから、これは間違いないと思う(笑)。

このU.Yとは会社寮の彼の部屋で一緒にギターを弾いてた。
まだまだ黒人ブルースにはたどり着いてない。
オールマンのブルースがゾクゾクするほどカッコヨクてね~。

はっぴえんどを知ったのもこの頃だったと思う。

はっぴいえんどのドラムで作詞家の松本隆氏は「ジャックスの”からっぽの世界”がなければ、はっぴいえんどは誕生していなかった」と語ったそうだ。

同棲生活は「生活」していかなくてはならず、大学はやめた。

この少し後になるのだろうが、自分は20歳か21歳だったかな。
自分の勤務先の後輩が、高校の修学旅行(米国)で買ってきたというレコードを聴かせてくれた。
彼は広尾に住んでいた。
駒沢通り渋谷橋のちょい先・・・広尾高校の手前だな、今思うと。
その彼が聴かせてくれたのはポール・バター・ブルース・バンドのアルバム、ボーン・イン・シカゴだ。


やられたのはギターのマイク・ブルームフィールドにだ。
しかし、自分にはまだまだギターソロがまともには弾けない。
理論も全く分かっていない頃。
今でも分かってないけどね(笑)

余談だが、余談ばかりだけど、このポール・バターを教えてくれた奴はハイカラで、六本木にあったフライドチキンを教えてくれた。
バケツみたいのに入ってるヤツを2人で買った。
世の中にこんな美味しい物があるんだ!と感動した。

当時、朝まで営業していた「芸能人ご用達」青山ユアーズを教えてくれたりね。
彼の部屋に行くと、部屋の照明はブラックライト、飲んでるコーラは今で言うとビールのショート缶サイズ。
米軍基地で買えるようなことを言っていた。

そして、この勤務先を辞めてから、某印刷会社でアルバイトを始めたのだが、ここでは本当に自分の音楽人生(なんて言う程でもないけどさ)の中で重要な、大切な人と出会うことになる。

 

 

コメント

  1. ogg より:

    今回もいい話がたくさん!
    初のギターはいくらぐらいでした?

    ひとつリクエストです〜
    まだまだ当時の話 & 余談を聞きたいのでの時の進行をゆっくりお願いしまっす 笑

    • K-335 K-335 より:

      コメントありがとうございます。
      初のギターは質屋で買ったヤツですね(笑)
      だったら3,000円くらいだったかと思います。
      正確には覚えてませんが。
      エレキは、グレコのレスポール、その次に白いストラトも買ったですね。
      時系列承知しました。