全ては1974年ここから始まった (1)

意味のない緊急なんちゃらが出され、感染を抑え込めれば某知事の手柄。
失敗すれば政府の責任・・・恐ろしい女だ(>_<)

さてさて、皆様いかがお過ごしでしょうか。

自分の音楽の原点とも言えるのは(原点たくさんあるんだけど)、なんてたってBLUESとの出会い。
細かいこと言えば、小学校(調べたら中学校でした)の時にストーンズを聴いて、解説に「ストーンズの名前はマディ・ウオータースという黒人ブルースマンの曲から取った。」と書かれていた。
当時だから中村とうよう氏、あるいは桜井ゆたか氏だったのかな。
日本語の解説を読んで黒人のブルース・・・ってのがあるんだ、と思った。

ストーンズの1集〜3集くらいまではブルースが殆どだったんだよね。
まあ、1集にはジャガー・リチャードのペンになるテルミーも入ってたけどね。
インストの南ミシガン通り2120(記憶のままに書いてる)ってさ、チェススタジオの住所だよね、たしか。

当時は、イギリスの音楽しか日本に入ってこなかった。
なんでだったんだろうか。
ま、ベンチャーズはハンパないブームにはなったけど、当時は英国勢の勢いは凄かったよね。
米国は?と言えば、ベンチャーズ、モンキーズ、ビーチボーイズ、ドアーズくらいでしょ。

で、1974年とんでもない連中が来日した。


THE ACES
日本人がこれまで全く目に、耳にしたことがない本物のシカゴ・ブルース。
今の日本のブルース界で活躍されている御大の方々で影響を受けたことのない人は居ない。
この時はロックウッドも来日。
さすがに映像はないが、当時この日、この時、芝郵便貯金ホールで・・・2階席からだったがロックウッドとエイシズを実際に観ることができた。
「第1回ブルースフェスティバル」
それが人生の失敗か・・・。
当時、この時の日本ライブはレコードでリリースされた。
CDでも再販されているのだけど、YouTubeにあった。
近年、拡大盤で再リリースされている。

47年前のことかよ・・・おいおい(>_<)

コメント

  1. ogg より:

    貴重なお話!
    楽しく読ませていただきました。
    続編希望!

    • K-335 K-335 より:

      ありがとうございます!
      ただ年喰ってるだけ、とも言いますが。
      続編?・・・・そ、そうですかぁ?(汗)