戦後11年。1956年昭和31年3月10日アメリカ軍撮影の空中写真。
元自宅、弦巻中学も(1955開校)ハッキリと写っている。解像度もかなり上がったようだ。
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校庭の中央を南北に走る黒い筋。これは蛇崩川の支流で校庭のど真ん中を流れていたが、土管で地中に埋められ弦巻通り沿いの蛇崩川に合流していた。
今回は現・都立深沢高校のある場所が謎の屋敷(ピンク丸)だったというお話し。
画像の全体図を見ると、246の新道が工事中、駒沢球場が見える。
日体大の北側にある、現・深沢高校のある一角が謎の屋敷。
当時の我が家は現・旧246の尾根から北の蛇崩川の谷に下り、更に上った付近(標高約41m)。
家族ぐるみで親しくさせていただいていたS家。S家の3歳程年上のお姉さんによく遊んでもらっていた。ボロ市やら、駒沢公園のプールやら連れて行ってくれて可愛がってもらってた。
このお姉さんに謎の屋敷に連れて行ってもらった。何故、お姉さんがこの屋敷を知ってて入れたのか、当時は屋敷に人が居たのか記憶には無い。深沢高校開校は1963年昭和38年。東京オリンピックの前年。
なので、屋敷に入ったのは小学生の頃。
記憶に残っているのは、とてつもなく大きな和風の屋敷で、土地は4,000坪とか5,000坪だったらしい。
長い廊下と行灯が置いてあったこと。呑川側の庭に出るとかなり大きな池があって、池中カエルの卵やオタマジャクシがウジャウジャ居たのをハッキリと覚えている。
ここまで書いてから、一応検索してみようか・・・ってことで検索。なんとこの方のブログがヒット。
記事によると「深沢高校の開校は昭和38年(1963年)で、それまでこの場所には元わかもと製薬社長、長尾鉄弥氏の広壮な京風の邸宅、好田荘がありました。」とのこと。そして更に驚いたのは現在も深沢高校に離れの茶室清明亭が残っているとのこと。
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ストビューで深沢高校北側を観たら2022年の画像があった。
しかし、何故好田荘に入れたのかは不明。
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