5月6日小出さんに逢いに阿佐ヶ谷OIL CITYへ。
時系列は確かではないかもしれないが、残っているカセットテープに記載されているメモ等を参考に記憶を辿ってみる。
ROLLER COASTERを初めて観たのが1973年頃と記憶している。この時のROLLER COASTERのメンバーは妹尾さん・山崎さん・生井さん・川口さん+国分さん。
1975年頃。左から山崎さん・生井さん・マネージャTさん・妹尾さん・川口さん。 |
ローラーのバンマスである山崎さんが「ブーコクが居た頃なら75年だろう」と。こんな時はGoogle先生に質問。ウイキによると「妹尾は1974年9月、「レイジー・キム・ブルース・バンド」「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター」を結成。」とあるので山崎さんの言ってことがより正確かと思われる。
ローラーは高円寺ジロキチで観たのが最初で、その後は日比谷野音・渋谷ヤマハのお立ち台・銀座ローディプラザ・VAN99ホール・渋谷エピュキラス・・・。
その後、生井さん・川口さんが抜けてメンバーが見つかるまで少しの間活動を停止していたかもしれない。
第二期のローラー、妹尾さん・山崎さん・永田さん・橋元さんを上馬ガソリンアレイで観た。
この頃、ウエスト・ロード・ブルース・バンドは解散していたと思う。
時系列記憶を辿る・・・大泉撮影所でぴあ主催のオールナイトのコンサートイベント。
この時に久しぶりに永井ホトケ隆さんを観た。チェーンギャングだったのかは定かではない。
メンバーも定かではないが、松本さんはドラムで参加していたと思う。永井さんは「ウエスト解散後はとても辛かった」と涙ながら語っていた。そのバンドのギターを永井さんが「伸ちゃん以来のギターリスト」と言って紹介したのが吾妻光良さん。このイベントに行ったのは永井ホトケ隆さんを久しぶりに觀るのが目的。午前3時くらいだったのか、それまで寝ていたのだが飛び起きて観た。
大泉東映イベント後に永井隆さんは吾妻光良さん・大平幹久さん・小堀正さん・チャールズ清水さんと結成したのがBLUE HEAVEN。初期はドラムが松本さんだったような記憶。
そう、小出さんを語るには吾妻さんを語らなくてはならないのだ。
大学の先輩後輩である吾妻・小出。吾妻さんが就職活動でBLUE HEAVENを脱退するにあたり吾妻さんは「小出を人質置いてく」と小出さんは吾妻さんの代わりにBLUE HEAVENへ。先輩の命令は絶対。小出さんに拒否権は無かったのだろう。
その後、小町さんがローラーに加入。当時の事はよく覚えてる。大森のスタジオで毎週練習をしていたのだがメンバーだった小町さんが「ローラーに誘われちゃった」・・・そして青コースターのアルバムが発売された。その後何枚かのアルバムを出して妹尾さんは脱退。当時、ギターリスト3人が居た頃のローラーは拝見していない。
小出さんと何度も共演させていただいた。リハーサルが終わって小出さんと一緒に食事。小出さんからは秘話?を沢山聞かされた。大笑いもさせてもらった。
人質にされた当時の小出さん。しかし、ギターが下手でBLUE HEAVENのLIVEに行くのをやめた。
当時の録音カセットテープ(借り物)にメモがあった。
―――――――――――――――――――
79年9月7日残暑ブルースセッション
妹尾:アホやなあ相変わらず
アヅマ:なかなかよかった
小出:もうちょっとやなあー
永田:あなたもなかなか
山崎:なかなかなもんですよ
―――――――――――――――――――
これがローラー第三期に繫がるのかもしれない。
小出さんは努力の人。
45年前の・・・40年後、小出さんと何度かご一緒させてもらった時、LIVEが終わってからの話。
「もう、ほんと、素晴らしい演奏だったっす。ピン最高っすね。」
「いや、いや、ありがとう。」
「でも、小出さん、昔ギター下手でさあ、BLUE HEAVENに吾妻さんの代わり入ってから、俺、BLUE HEAVENを観に行かなくなったもん。」
「なんだよ、褒めといてそれかい」(一同大笑い)
なんて事が思い出される。
2023年7月山崎さんの復活LIVEにもお声がけはしなかったのに来てくれて・・・飛び入り。
恒例の正月LIVEフライヤ | 恒例の正月LIVE | LIVE終了後 | 山崎さん復活LIVE |
同年暮、2024年1月にLIVEを演るのでゲストでお願いしたくメールでやり取りしていたのだが・・・こんな事になるとは。
年下のくせに先に逝くなよ・・・。
いつもご一緒させてもらった時、楽しかったね!
小出さん、ありがとう。
バンマス山崎さんの言葉をお借りして「小出!お前は素晴らしい!」
コメント