「全ては1974年ここから始まった」と思いつきで書いたのだが、続編を希望される方がとても大勢約1名いらっしゃるので、ヨタ話しを書いて行きます。
全ては1974年ここから始まった (1)はTHE ACESとの出会いだが、それ以前、洋物の音楽に興味を持つようになったのは、近所に住んでいたM本君にローリングストーンズのビッグヒッツというアルバムを聴かされたのがきっかけだ。
時はちょっと戻る。
調べると1966年の発売だから中学2年か。
今まで小学校6年だと思っていたが、記憶違いらしい・・・。
ビートルズの来日が1966年6月30日。
学校からお達しが出たのを覚えている。
「ビートルズの演奏公演に行ってはいけません。」時代を感じるね(笑)
当時、女子達は皆ビートルズに夢中だった。
ストーンズを好きな女子は1人も居なかった。
自分が好きだったK.Hちゃんはポールが好きだったかな・・・・。
それもあってか、未だにビートルズは嫌いだ(笑)
レコード・CDは1枚も買った事がない。
さて、そのストーンズのビッグヒッツだが、ジャケットを見れば気色の悪い野郎共が写ってる。
音を聴けば「あれ?ビートルズと違う!」とすぐに感じたのだった。
その違いが何かと分かるのはもう少し後のこと。
ストーンズを大変気に入り、昼飯代(給食が始まる前)を昼飯抜きで貯めて、せっせとストーンズのレコードを買った。
次の年、1967年はかなり衝撃的なことが起きる。
帰ってきたヨッパライの大ヒットと、ジャックスの誕生。
ビートルズに影響されたグループサウンズが誕生するのが1966年頃。
なんとか聴けたのはゴールデンカップスとモップスくらいだった。
はっぴいえんどが1969年だから、ジャックスの衝撃は大きかった。
当時、中学校でエレキを弾いていたのはO田君、ただ1人だったように記憶している。
テケテケテケ。ベンチャーズだよね。
彼は不良だった(笑)
自分はストーンズに夢中になりながらも、フォークルやジャックスなど、日本のフォーク・ロックも聴いていた。
ギターを弾くようになるのは、高校1年だから、まだ少し先のことだ。
この時代のテレビ放送でビートポップスって番組があった。
土曜だったかな・・・中学校から走って自宅に帰り夢中で観てた。
大橋巨泉・星加るみこ・木崎義二(字の間違いがあったらお許しください)の司会。
今でも覚えてる・・・巨泉さんの駄洒落「牛も知ってるカウシルズ」。
スタジオではガラス板の上で、ミニスカの女性がヒット曲に合わせて踊っている。
中学生にはちょっと刺激が強すぎたが・・・だってカメラワークが下からだからパンツが見えるんだもん。
この頃を思うと一発屋みたいなバンドのヒット曲はたくさんあったな。
星加るみこさんはミュージックライフの編集長じゃなかったかな。
自分はティーンビートって雑誌の方が好きだったけどね。
全ての画像は著作権無視で掲載です。
オーティスのドッグ・オブ・ザ・ベイもビートポップスのチャートに上ってきたのを今でも覚えてる。
たまに、プロモ映像を流してくれるんだけど、好きなバンドの映像が流れるのは大興奮モノだった。
こうやって昔を思ってみると・・・ああ〜、山室・江口グループの江口氏が1級下に居たな。
江口氏と同級のKちゃんて娘が好きだったんだよな。
昼休み、校庭イッパイに輪になってのオクラハマミキサー(円になっての男女のダンス)が楽しみだった。
だってさ、好きな娘の手を握って踊れるんだよ。
コメント
いや〜!どれもいい話だなぁ〜!
当時ビートルズ観に行った同級生とかいたんですか?
昼飯代がレコード代になるとかもいいですねぇ〜
貴重なお話をありがとうございます。ちょこちょこ女の子の話が入ってくるのもNICEです!笑 続編も楽しみ!
コメントありがとうございます。
多分、自分が通っていた中学校ではビートルズを観に行った生徒は居なかったと思います。
給食が始まったのは中学2年からだったと思いますが、それまでは毎日母親から200円?だったかをもらって学校に行くわけです。
で、パンなどを校内で注文できるんですよ。
それをケチってパン1個だけ、あるいは昼飯抜きでお金を貯めてはレコードを買ってましたね。
当時はシングル盤が360円、LPが1,500円くらいでした。