間もなく8月15日がやってくる。
いつも思い出すのは母の弟がサイパンで戦死したこと。
子供の頃に1回か2回、母から「弟は戦死した」と聞かされていた。
その頃は「へー」って程度・・・そして時は流れ流れて平成になり相続をすることになり「会計事務所」の方に「現存する戸籍謄本を全て取り寄せてください」と言われたと思う。
しばらくして謄本が届く。
最古の記載は嘉永4年(1853)安政6年(1859年)。
嘉永4年に何があった・・・土佐藩漂流民・中浜万次郎(ジョン万次郎)アメリカ船で琉球に上陸。
嘉永6年6月3日ペリーら浦賀へ来航(黒船来航)。
安政6年には横浜港が開港。安政の大獄。こんな時代だったみたい。
因みに現行戸籍の基礎ができたのが明治5年のことらしい。
それ以前、日本書紀にも名籍(なのふだ)というのがあったとの記載あり、渡来人を記録するためのものだったらしい。
届いた戸籍謄本を見る・・・あれ?あの人養子だったのか、え?あの人再婚だったの・・・なんて親戚のちょっとした「秘密」を見てしまったような気分。
戸籍謄本を全て、というのは恐らく自分以外に相続権のある人が居るのかどうか?ってのを調べるためなんだと思う。
こんな機会でもないと、昔からの戸籍謄本なんて見る機会はないよね。
その中で目を引いたのは母の弟がサイパンで戦死していたという記述。
謄本によると「昭和19年7月8日時刻不詳サイパン島に於いて戦死 横須賀地方復員局 昭和22年5月5日死亡報告に依り 同年?6月10日受付」
とある。
調べて見ると戦死された日付昭和19年7月8日というのはアメリカ軍がサイパンを占領した日付であって、それ以前、いつ戦死されたのかは調べる術もない。
ご英霊の皆さんのお陰で今の日本があります。
HIROSHI 叔父さん、安らかにお眠り下さい。
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